起立性調節障害になった話①

こんにちは。

久しぶりにブログを再開してみます。

 

実は私、高校生の時に起立性調節障害という病気になりまして、今となっても大きな経験をしたな、と思っています。

今はほぼ症状はありませんが、せっかくなのでその時の出来事や感情を書いてみようと決めました。

 

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私が起立性調節障害と診断されたのは高校3年生の7月です。

 

起立性調節障害と診断をされるまで、病気とは全く無縁の人生を送っていました。

入院や手術の経験もなければ、学校もほぼ休んだことがありませんでした。

中学3年間に至っても無遅刻無欠席でしたので、周りにも体が弱いと思っている人はいなかったと思います。

(20代の今も入院した経験もありません。基本は健康体?)

 

ただ、いつからか朝起きるのが苦手にはなっていました。

特に中学に入ってからはいつも遅刻ぎりぎりで、母親にたたき起こされて何とか学校へ行っていました。

朝のテンションは低く、友達からも「朝弱いね~」とよく言われていました。

でも体調が悪いわけではなく、昼間になるにつれ元気になっていくので、朝は眠いものなんだと思っていました。

 

高校に入っても母親にたたき起こされる日々は続きました。

でも前述のとおり「朝だから」と思って誰も気にすることなく生活していました。

私の高校は一般的にいう「自称進学校」で、国公立の大学へ進学しろという雰囲気をひしひしと先生から感じていました。

私の性格は先生の言うことを素直に聞き、実行するタイプだったので、

入学直後、先生に「家庭学習最低3時間」と言われ、それを「しなければいけないんだ」と思いこみ、そのまま実行していました。

でもこれが体によくなかったとはさして思っていません。

だって受験勉強なんで全国の高校生がやるものです。

むしろ勉強は好きなほうだったんです。

勉強は他のことを何も考えなくていいですし、基本的にやればやるだけ結果も出て褒められるので、勉強が楽しいとさえ思っていました。

 

でも高校2年生くらいから「心が重い」と感じることが増えるようになりました。

体はどこも悪くないのに、気分が落ち込み、表情も暗く、元気がでません。

自分が存在している空間だけ人一倍の重力負荷がかかっているのでは?と思うほどでした。

友達から「大丈夫?」と聞かれるのですが、実際体はどこも悪くないので「大丈夫と答えるしかありません。

この時の私にとって「元気」とは「体」のことであり、「心」の「元気」は気合で何とかなるものだと思っていました。

 

1年生から2年生、2年生から3年生と学年があがるにつれ周りが受験モードになっていきました。

自分自身も「もっと勉強しなければならない」という気持ちが高ぶっているのを感じていました。

 

2年生が終わり、もうすぐ3年生という春休みには、限界と思えることが多くありました。

勉強をしようとしても集中ができず、意味もなく涙がでたり手足が震えたりもしました。

先生の前で泣きじゃくったこともありました。

それでも3年生が待ち構えていたので「休む」ということは選択肢にありませんでした。

「休む」ことは「怠ける」ことだと完全に思っていました。

 

しかし3年生になると、そんな精神状態に、輪をかけてよくないことが起きました

大好きだった部活動を引退しました

楽しい時間がなくなり、勉強一色の生活に変わりました。

 

春休みの不調を引きずっていたので、この変化に対応ができませんでした。

部活を引退した5月辺りから体調不良を感じることが増えたと記憶しています。

頭痛虚無感やる気がでない、などがありました。

 

その頃の私は、勉強をしなければならないのに、思い通りに勉強ができず、それがさらにストレスになっていました

私はそのストレスが嫌で無理矢理にでも勉強をしようとしました。

思い通りに勉強ができれば、模試結果さえよければ、ストレスはなくなり、心は回復するのだと思っていました。

 

でも、そうは行きませんでした。

高校3年の暑い日の昼過ぎに、私の人生は大きく変わります

 

に続く

 

 

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